陶彫を見据えて

陶彫会は創立以来65回以上の開催を経てきたが、その間、陶彫とは何たるかについて議論を重ねてきた。沼田一雅は、“彫刻の陶芸化”という一つの方向性を打ち出し、自身も陶芸作品を多く打ち出してきた。その一つとして、沼田一雅の石膏型を見ていただければ分かるように、いくつものパーツを作り、それを組み合わせて、最終的に焼成作品を制作した。これは、彫刻の世界で見られる手法であるが、彫刻では焼成という手法は採っていない。沼田は、彫刻の陶芸化を志向したがため、どうしても具象が主体であった。沼田の陶芸に対する10カ条を見ても分かる。現在でも、脈々として続いているようにも見受けられる。
そのような中にあって、陶彫会設立時には沼田一雅と歩を合わせていた八木一夫が、京都で、走泥社を立ち上げ、陶芸のなんたるかの模索を始めることになった。八木の記念碑的作品と評される《ザムザ氏の散歩》も、パーツをいくつも組み合わせて製作している。しかし、沼田とは方向性が異なった。日本の陶磁器生産が轆轤中心で、器の形を形成するための道具であり技術だと認識されていた時代に一線を画するものであった。八木の作品は、陶芸を焼き物によるオブジェの系譜として位置づけられた。具象の世界に対する反発といえようか。
この期以降、陶芸や工芸を全く別の視点から眺める動きが始まったようである。表現のモダニズムを志向したとも言える。しかし、現在の陶彫会の作家達ですら、その先をいまだに見つけることができず模索し続けている状況と言っても良さそうである。
確かに、「公募展や作家の個展をみると停滞気味であり、時代に対する表現の方向性を見失ってしまったような観がある。陶彫を取り巻く環境が一つの転換期を迎えたといえる」と指摘もされてきた。日本陶彫会も65回を転機として新たな出発を図ることとした。
陶彫という内部から概念とジャンル形成を挑戦する必要がある。1980年代には、“工芸的造形論”が盛んに謳われた。工芸という領域をモダニズム的観点で改めて見ようという動きである。これと同じような動きである。
しかし、焼成という点にこだわり続けると、“窯”というものによる制約がある。土が融ける温度、釉薬が融ける温度をどうしても念頭に置く。作家は、相互の化学変化が面白くて、挑戦し続けているわけである。しかし、その制約を打ち砕くような素材が登場し、電子レンジ程度の温度で焼成できるものも登場してきた。あるいは、全く焼成しなくても、従前の陶芸作品と類似した作品を制作できるようにもなった。作品を展覧会でも見かけるようになった。
そこで、陶彫をsculpture of ceramics という色分けでなく、clay work(クレイワーク)という見方をしても良さそうである。新たな概念とジャンル形成に役立つかもしれない。
clay work(クレイワーク)という概念は、80年代以降に登場した幾人かの作家において見られる。土はもはやそのような重要性を持つものではなかったようである。それは単にひとつの制作の手段であり、素材に過ぎないのである。金属や合成樹脂と組み合わせたり、木材、セメントと組み合わせたりもした。作家の土に対する志向は、彫刻家の素材に対する姿勢と共通している。したがって土とともに他の素材や既製品なども自由に使用するし、場合によっては土から別の素材にかわることも、自由とした。土を火で焼くことも必ずしも絶対的でなく、焼くか焼かないかはすべて作家の意図によって決められるべき事柄に属するとした作家達もいたようである。クレイワークという概念でとらえた場合、当時盛んであったモダニズム以降のポストモダンをめぐる表現の探求であったともいえよう。

陶彫の今後を見据える上でも、当時の美術論に付いて触れておくのも大切であろう。1980年代から90年代初頭にかけて、クレイワークという語で現代陶芸が盛んに語られた時期があった。
これに付いては、大長智広氏が
【ポストモダン以降の陶芸表現へ −1980年代の二つのクレイワーク展と工芸的造形論を中心にして一】
という評論を加えている。その内容から、概念形成に役立つような点を拾ってみよう。

「美術史家乾由明氏によると、クレイワークclaywork(土の仕事)とは「やきものが実用的な機能を失ったとき、それはもはや陶芸というよりも、彫刻に近いものになっている(実用性から離れ、彫刻に近いものを陶芸ではなくクレイワークと呼ぶとしている。セラミックスceramics(陶芸)という既成の用語を避けている)」
(注:陶彫会はこの方向に志向してきている)

「乾氏はクレイワークという語の定義に続けて、(造形的なクレイ・ワークと実用的な陶磁器とが共存している現代は、土偶と土器をともに生み出した先史時代を思わせる。しかし両者の間には土偶と土器のような密接な関係は認められない。クレイ・ワークと器物の焼き物とは、きわめて異質である)としている」
(注:備前の作家木村玉舟は、陶彫と床の間に飾られたりする置物すなわち細工物とを明確に区別している)

「だがクレイ・ワークは、何もないところから突如として出現したわけではない。それは造形性の追求という過程の中から、必然的に齎されたものにほかならない」
(注:陶彫会は造形性、審美性をも追及している)

「八木の《ザムザ氏の散歩》に象徴されるように、まさに焼き物のオブジェは実用性という概念を読み替え、焼き物による純粋造形を追求することで登場したものである」
(注:八木の言葉に次のようなものがある。「僕らの仕事というのは、形からということよりも、粘土の生理だとか粘土を構築していくプロセスからの導きみたいなもので発展しているわけで、つまり純粋な美術とちょっと違うところがある」、「要するに焼き物というプロセスと、それから自分の精神みたいなものとを、もっとストレートにピシャッと結びつけようじゃないかというふうな考え方、というより動作ですな」
(注:これは、クレイワークを焼き物によるオブジェの系譜として位置づけていることになろう)

「ここ数年のクレイワークの動きにはめざましいものがある。これまでの“陶芸”という概念をこえて、現代美術という広い視点から語られるべき新しい動きである。火や窯を通さないもの(アン・ファイヤー)、多種多様な素材を使用したもの(ミックス・メディア)、広大な大地を相手にしたもの(アース・ワーク)、そして空間全体を作品として;構成したもの(インスタレーション)等もクレイワークといえる。その結果・他の造形分野とのクロスオーバーが活発になり、現代造形として一体化する方向にある」

「70年代までのクレイワークにおいては、土という物質の存在と特性が制作の出発点であり、作品を成り立たせる本質的な基盤をなしていた。土との「切っても切れない運命的な繋がり」を自覚していた八木や初期走泥社の作家達の意識は、時代と共に希薄になった。それでもクレイワークのモダニストにとって、土は制作の不可欠のメデイウムにほかならなかったのである」

「だが、80年代においては、土はもはやそのような重要性をもつものではない。それはたんにひとつの制作の手段であり、素材に過ぎないのである。したがって土とともに他の素材や既製品なども自由に使用されるし、場合によっては土を火で焼くことも必ずしも絶対的でなく、焼くか焼かないかはすべて作家の意図によって決められるべき事柄に属する」 (注:添付の作品参照)

「これは、モダニズム以後の扉を開き、ポストモダンへと向かう新しいクレイワーク表現に見られる特徴の一例である。このように現代美術と共通する観点においてクレイワークが捉えられていく。ここで端的に示されているように、80年代中頃においては、かつてのように八木一夫を中心としたやきもののオブジェ観では理解できない」

「工芸的造形論は、現在、陶芸界のみならず、工芸全般において多大な影響力を有している」

「金子氏(全陶展創始者)の言葉によると、工芸的造形とは「素材のプロセスに沿いつつ自己を表現する方法」であり、陶芸制作においては「既成の器形概念や陶芸ないし工芸という概念に土の構築のプロセスを当てはめるのではなく、土の構築のプロセスと自己の作り出したい形の融合である」としている。これが従来の工芸でも純粋美術でもない、全く異質な造形論として誕生した工芸的造形だということである」

「このように従来の工芸でなく現代美術でもない純粋で新しい工芸の地平を、工芸を制作する作家の感覚的ともいえる造形思考によって確立した工芸的造形論は、現代の陶芸を考える上での理論的柱として様々に引用され、日本各地で開催される展覧会にも応用されている」

「金子氏の工芸的造形論は、いわゆる現代美術へと位相を変えたようにみえるクレイワークのポストモダン的展開に対して、その時計の針を逆に戻したかのような観がある。ここには1990年代初頭のクレイワークがその本来の実験的な役割を終えつつあったという背景も指摘できる。 そしてクレイワークをめぐるこうした状況を「陶芸の現代美術化」として一般化した視点で包括的に語られると、陶芸というジャンルの存在基盤が希薄となり、解体へと向かうように見えるのは当然である。その一方で、従来と変わらずに素材に根ざした感覚的な造形思考を有する作家が工芸家には多いという。その差異を金子氏は工芸的造形論を通じて顕在化させることを試みたのだと思われる」

「しかし実はこの理論的、制度的な構造は、例えばモダニズム絵画、特に抽象表現主義絵画の重要な批評であるフォーマリズムが成立する構造との類似性が指摘できる。そこでは絵画の形式性を重視し、閉じた純粋な領域と見なすことで過去の絵画作品と現在を結びつけ、絵画の本質としての平面性という概念を提示した。しかしモダニズムからポストモダンヘという中で、フォーマリズム批評が成立する枠組みそのものが批判の対象になり、開かれた社会や文化状況との関係を基盤に新たな批評の枠組みが制定されることでモダニズムが乗り越えられてきたことは周知の通りである」。